ベンジャミンフランクリン 自伝 おすすめ

「才徳兼備」を目指す部下に紹介している「骨太の教養本100冊」を、順次web上にも公開しています。慶應義塾大学経済学部卒業、シカゴ大学経営大学院修了(MBA)、米国公認会計士。初版   1957年(日本、改版) ※世界的な初版は1791年(フランス)ベンジャミン・フランクリン(1706-1790)    アメリカ合衆国の政治家、科学者、文筆家。アメリカ建国の父の一人。100ドル札の肖像にもなっている。政治家・・・アメリカ独立の動きに参加。アメリカ独立宣言を起草した5人のうちの一人。科学者・・・雷が電気であることを証明。ロンドン王立協会の会員。避雷針、遠近両用眼鏡、グラスハーモニカ等を発明。文筆家・・・本書「フランクリン自伝」は大ベストセラーに。他に、現代の日めくりカレンダーに近い「貧しいリチャードの暦」を出版。アメリカ人が尊敬する人物像を知りたい人、欧米人が考える道徳を知りたい人、自慢話が苦にならない人。節制・勤勉・誠実・謙虚といった「人徳」を身に付けた者こそが、社会の役に立てる。アメリカ建国の父、ベンジャミン・フランクリンの自伝。自己啓発本の元祖。勤勉・倹約、科学的探究心、合理主義でいかに自分は成功したかを説く。「おじさんの自慢話」ジャンルの最高峰。■神は私に人生の様々な楽しみとともに、自惚れを与えて下さった。感謝している。■家に余裕がなかったことから、教育は10歳までで、その後は父の仕事(ろうそくと石鹸の製造)を手伝った。他にも煉瓦師、真鍮細工師等の仕事を見学し、ちょっとした実験機会なら作れるような技術を身に付けた。一方、本を読むことが好きで、頭も良かったことを見て取った父は、私を印刷屋見習いにした。■遊びでも私はリーダー的存在だった。仲間に指示して、新築用に大工が準備していた石を沼地の埋め立てに使って怒られたりもした。■兄の経営する印刷屋に見習いに入り、多くの本を読んで文章力や論理構成力を磨いた。算術書や幾何学書も読み、勉学に勤しんだ。■しかし、兄との折り合いが悪く、17歳の頃に単身フィラデルフィアに乗り込む。■フィラデルフィアでは親戚の伝手から知事と懇意になり、印刷屋としての独立を支援すると約束してくれた。そこで私は、独立に必要な物資を集めるため、ロンドンに旅立つことになる。■私は友人のラルフとロンドンにやってきたが、遊んでしまいお金は貯まらなかったし、その上ラルフの彼女に手を出してしまい、結局ラルフと絶交することになった。知事から話のあった独立支援の話も、眉唾ものであることが判明した。■それでも私は印刷所で植字工として働きつつ、近所の気前のいい本屋から無償で本を借りて読み漁った。また、多くの教養人と交流を持ち、人格の基礎を築いた。■1年半ほど働いた後、商人デナム氏から「フィラデルフィアで開く商店の番頭として働かないか」という誘いを受け、アメリカに帰国することとなった。■振り返ると、私は15歳の頃から「天啓」なるものを信じていなかった。天啓が薦めているから善いのではなく、我々に有益だから天啓は薦める。天啓が禁止しているから悪いのではなく、我々に有害だから天啓は禁じているだけだ。善悪などそもそも存在せず、人間によって有益か有害かを判断基準とすべきだ。■ロンドンから機会が届いたため、私はフィラデルフィアに印刷屋を開業した。■フィラデルフィアでは教養人とともにクラブを作り、週1回、倫理・政治・自然科学について議論し合った。このクラブは以後40年程度続くことになる。後に北米で一般化する公共図書館の設立にも取り組んだ。■また、私は仲間と共に新聞を発行した。それまでに多くの本を読み、文章力を磨いたおかげもあり、私の社説は評価され、購読者数も右肩上がりに伸びた。印刷業も誠実丁寧に展開した結果、州議会御用達に指定された。朝から晩まで働いた私の勤勉の徳が幸いしたことを強調しておきたい。■私は青年時代の情欲に駆られて、怪しげな女性と関係を結んだこともあったが、この時代に結婚して身を固めた。■私は自身の道徳を完成させるために「13の徳」を確立し、毎週1つの徳目を必ず守るようにし、13週で1回転、1年間で約4回転するように計画した。また、毎日守れなかった徳目に*を付け、反省材料とした。■「節制」によって健康は維持される。「勤勉」と「倹約」により社会の役に立つ能力が身に付く。「誠実」と「正義」により、任務を託されるようになる。その他の徳と相まって、人生は充実する。■実現には至らなかったが、私は13の徳が実行できる有徳者のみを集めて、相互に忠告・援助・支持しあえるような組織を構想していた。これは必ずや人類に偉大な変化を与えるだろう。■私が出世の第一歩を踏み出したのは、1736年に州会書記に選ばれた時だ。その後は郵便局長になった。その他の公的な活動としては、消防組合を組織し、フィラデルフィアは世界中どこにもないくらいの耐火災都市となった。■新聞出版業も順調だったため、私は大学と自衛軍の設立に尽力した(注:ペンシルバニア大学の前身となる)。■私は改良型ストーブを始め、多くの発明をしたが、特許を取って儲けようとはしなかった。我々は他人の発明から多大の利益を受けているのだから、自分が何か発明した場合にも、それを惜しむことがあってはならないと考えるからだ。■私はフィラデルフィアに講義に来ていたスペイン人学者から実験器具を買い取り、電気に関する実験を開始した。周囲の人は私が暇になったと見て、治安判事や市会議員や州会議員に私を推した。これらの地位は全て私から欲したものではない。低い身分から出世しただけに、私は嬉しかった。■ちなみに電気学上の改良や発見が評価され、私はハーバード大学とイェール大学から学位を贈られた。■1754年、フランスとの間に戦争が起こりそうだったので、私は全ての植民地が1つの政府に連合する案を起草したが、イギリス本国はあまりに民主的なこの案に反対し、各州も中央集権が強まることを警戒して反対した。■それに代わって本国は植民地に軍事資金を提供し、後から回収することにしたが、それが結局独立戦争に繋がってしまった。■知事からの要請で、私は対インディアン戦のための要塞づくりに携わった。ここでは部下が数百名に上ったが、皆何か仕事をしている時にこそ活き活きし、従順であるが、暇になると不満を言い出す。人には常に何らかの仕事をあてがっておくのが良いと学んだ。■私の書いた「稲妻は電気と同一である」という論文はヨーロッパの各国語に翻訳され、やがてイギリス学士院にも認められるところとなった。■私は植民地州会代表として、領主に対して適切に課税する法案を通すため、イギリス本国で交渉を行った。私がこの法案を成立させたおかげで、植民地の通貨は価値を保ったのである。■自分の言葉が様々な人に引用され、人生訓に用いられるのは非常に誇らしいことだ。自分でもしれっと(他人の言葉のように)自分の言葉を引用することがある。■人間、一番大切なのは勤勉さである。「雨垂れ石を穿つ」「小さな一撃でも、たび重なれば、大木をも倒す」「勤勉は、安楽と富と尊敬をもたらす」などと言うではないか。■同時に、倹約であることも重要だ。スペインが西インドを得ても豊かにならなかったのは、入ってくるより出ていく方が多かったからだ。贅沢は不毛であるし、借金は自らの自由を奪う。ちなみに福澤諭吉は同じことを著書「福翁自伝」でこんな風に言っている。こちらもさっぱりした性格の福澤らしい言い回しである。しかし、このように人生を振り返るためには、今この瞬間を「愉快に」過ごさなくてはいけない。今、皆さんは「愉快」に過ごされているだろうか。(読書のために)日曜日には口実を作って、一人印刷所に残り、みんなと一緒に礼拝に出かけるのをできるだけ避けた。フランクリンが「勤勉性、探究心の強さ、このエピソードはつまり、そしてこの精神は、アメリカ人に脈々と引き継がれることになる。全世界的ベストセラーであるフランクリンにとっては、読書や勉強が「緊急ではないが重要」な領域にあったということだろう。為政者というものは、せねばならぬことで手一杯だから、新規の計画を考えたり実行したりすることは、面倒臭がっていやがるものだ。だから、これはまさに「重要・緊急」に追われて、「重要・不急」が疎かになりがちであることを言っている。まさに耳が痛い。普段の仕事ではどうだろうか。目の前のオペレーションに追われてしまい、数年先のビジョンを考えたり、最悪の事態を想定したり、人材を育成したりすることは、どうしても後回しになってしまう。そこで大切なのは、やはり優先順位付けしかない。いかに重要度の低い仕事を止めたり、効率化したり、外注化したり、自動化したりするかだ。しかしこの「優先順位付け」すら、忙しいとままならないことも、、、これはそのまま、Win-LoseやLose-Winは短期的な効果をもたらすかもしれないが、「原則」に則った長期的関係を築くのであれば、Win-Winしか取り得ない。また、イギリスの哲学者・数学者・政治運動家のバートランド・ラッセル(1872-1970)は、著書どちらの態度も身に付けたいものだ。この「13の徳目」は本書の山場の一つである。明治時代、新渡戸稲造は「日本には宗教が存在しないのに、どうやって道徳教育をやっているのか」と問われ、それで私はある船長のことを思い出したのである。四書五経の一つである「大学」の第一章では「小人閑居して不善を為す(=教養や人徳のない小人は、一人でいたり時間を持て余すと悪事を犯す)」という同じ趣旨のフレーズがある。また、明代に書かれた私が覚えている諺に、この諺の後半部分に共感できる人は多いのではないか。仏教経典には「神は自ら助くる者を助く」と、貧しいリチャードが1733年度の暦の中で申しております。(注:貧しいリチャードとは、著者であるフランクリンが作成した日めくりカレンダーのようなもの)このそしてこの言葉の出典はと言えば、これは諸説ある。少なくとも日本語のサイトでは適当なものは見当たらず、英語版Wikipediaに拠れば、となっている。いずれにしても、欧米人には馴染みの深いフレーズで。18世紀の自立心に富んだアメリカ人を象徴するような言葉でもある。今後の余生にどのような不幸が待っているかは神のみぞ知る、私にとっては斬新な考え方であった。解釈すれば、今この瞬間を全力で生き、また全力で生きられることに感謝せよということだろう。これは「人間はいつか死ぬのだから、それまでに十分楽しんでおけ」と読み替えてもいいのかもしれない。皆さんは、どう解釈されるだろうか。不幸が来た時に諦めがつくかどうかは分かりませんが、少なくとも「あの時、ああしておけばよかった」などと後悔はしたくありませんね!理窟屋で反対好きで言葉争いに耽るような連中は、多くは仕事のほうがうまく行かないようだ。彼らは勝つことはある。しかし、これは自己啓発本の大ベストセラー議論で相手を打ち負かしても何も得られない。やっつけられたほうは劣等感を持ち、自尊心を傷つけられ、憤慨するだろう。「相手に反論しよう」と躍起になっている時に、思い出したいフレーズの一つ。ガチンコで議論せずに、相手に何かを気付かせるとか、色々な考え方があると思うが私はこう思うとか、相手がある話であることを肝に銘じたい。特に20代で高学歴の若者には「正しいことこそ正義」という意識が強い傾向があるように思います! 「才徳兼備」を目指す部下に紹介している「骨太の教養本100冊」を、順次web上にも公開しています。慶應義塾大学経済学部卒業、シカゴ大学経営大学院修了(MBA)、米国公認会計士。「才徳兼備」を目指す部下に紹介している「骨太の教養本100冊」を、順次web上にも公開しています。慶應義塾大学経済学部卒業、シカゴ大学経営大学院修了(MBA)、米国公認会計士。

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