浦上氏 家 系図

浦上靖介 1913年 浦上商店創業 1947年 浦上食糧工業所社長 1949年 ハウスカレー浦上商店社長 1960年 ハウス食品工業社長 父: 母: 妻: 長男: 二男:浦上郁夫 浦上郁夫 1937年 誕生 1960年 浦上庄は『和名抄』に揖保郡浦上郷(播磨国)と記載されている郷名を継承したとされている。 養和元年(1181)12月8日の後白河院庁下文案『新熊野神社文書』に京都新熊野社領二十八庄の一として浦上庄がみえることから平安時代後期には浦上庄が成立していた。 この浦上庄に浦上氏が誕生する。 その後浦上氏は揖保郡を離れ、備前国の守護代として代々三石城(備前市三石)に拠っている。 三石(備前市三石)は備前と播磨の国境にある船坂峠の麓にある。 この地を掌握するために築かれたのが三石城(標高297m)である。 城は南北朝初期に伊藤大和二郎が築城したとされている。 則宗について『国史大辞典』は、 以上のように記述している。 則宗は主家で采配を振った有能な知将であったことが伺える。 則宗が所司代の頃の『陰涼軒日録』文正元年(1466)2月18日の項に、 と記載されている。 室町時代後期の准勅撰連歌撰集である『新撰莬玖波集』(しんせんつくばしゅう)には、 ほか二句が入選している。 則宗は連歌に親しむ文人であった。 更に「浦上作州悦窓居士肖像」の賛によれば禅門をたたき修行を積んでいたことが分かる。 則宗は浦上氏歴代の中で、大燈国師に次いで傑出した人物といえよう。 則宗から村宗までの系譜は諸説あってはっきりしない。 岡山県瀬戸内市牛窓町千手 弘法寺蔵の「浦上系図」には次のように記載されている。 上記の系図の信憑性は高いとされている。 村宗の主家の赤松政則が亡くなり、養子である赤松義村が幼年であったため、政則後室の後見や、浦上氏などの支持を受け、播磨・備前・美作の守護職に就いた。 大永元年(1521)義村を殺した村宗は、備前東部と播磨西部を支配する戦国大名になった。 享禄4年(1531年)、晴元たち敵対勢力の中枢である堺公方府へ遠征したが、同年6月に晴元や三好元長に敗北し討死した。 村宗の遺体は木谷(岡山県備前市)へ葬られた。 2基とも梵字が一字のみで、どちらが村宗の墓碑かはっきりしないが、大きい方だろうと推測される。 建立されている場所の小字地名は「着到」である。着到は到着の意であるがこのような意味で地名になったとは考えにくい。 着到(チャクトウ)はシャクトウが訛ったもので「石塔」(シャクトウ)が本義と考えられる。そうすると古老の話と一致する。 宗景の略歴について『国史大辞典』を引用する。 以上のように記述されている。 宗景については、 ある浦上家が所持している書である。 箱書について 以上のように書かれている。 入城したのは享禄5年(1532)とされているから「大永年中(1521~1528)」とは隔たりがある。 父の村宗が戦死するのが享禄4年(1531)であるから、それ以前に決意していたのだろうか。書について この詩の私の解釈は次のとおりである。盛唐の詩人崔國輔の詩に「長樂少年行」がある。  遺卻珊瑚鞭, 読みは、 意訳すると、 概ねこの様な詩であろう(章臺は長安の遊里の意)。 伝宗景の書はこの詩の「章臺」以下の後半部である。 天正3年(1575)天神山城は、宇喜多直家に攻略されて落城し、播磨国へ退去するのだがその間の動向については諸説がある。列挙すると、 この記述のあらましは、 ①脱出時の状況。 以上の三つの内容になっている。 この伝説は落城後の脱出中の事件を伝えている。 この口碑の主「御姫様」は城主浦上宗景の娘のことで、下山崎の山腹で自害しその地に祭られたことを伝えている。 最近では山陽新聞(2002・3・15)の「巨樹シリーズ」で、和気町日笠下の「お姫様のムクノキ」というテーマでこの伝説を掲載している。関係箇所を転載すると、 これらの記述から落城後脱出する宗景一行の行動を推理してみよう。 重臣たちの裏切りで燃えさかる城を後にした宗景一行は、譜代の重臣日笠弾正外若干名の家臣と宗景の娘及び二歳になる子(『吉備前秘録』にいう末子:筆者注)を抱いた乳母である。 一行は城の東の山伝いに和気町木倉へ出て谷間を下り、股肱の臣である日笠弾正の居城青山城の傍らを通り、日笠川のほとりに出たと推測される。 天神山から日笠下までを地図の上で計れば直線距離で約4㌔であるが、実際の道のりははるかに長い山道である。 後述するように宗景は娘に高取備中守の弟彌四郎を養子として迎えており、一行の中の二歳の子はこの夫婦の子と推定できる。 村人は憐れな姫の最期を悲しんで手厚く葬り祠を建てた。 『和気郡誌』が書かれた明治42年ころは山腹の鬱蒼とした樹の傍らに祭られていたが、後に村中のムクノキの樹の傍らに移して祭られた。 鎮魂の祭が、現在まで続けられているのは、伝説が架空ではないことをも物語っている。 ムクノキは樹齢が約四百年とされている古木で、いつとはなしにお姫さまゆかりの木として大切にされている。 以上の推測は脱出の経路にお姫さま伝説がきっちりと収まることから、事実を伝えていると考えて間違いなかろう。 備前の鷹取(高取)氏の史料として、太田亮著『姓氏家系大辞典』に、 と書かれており、貞治年間(南北朝時代)には伊部村(現備前市伊部)周辺を領していたことが分かる。 宗景が天神山城主になると麾下になり三千石を領し、飯井村(長船町飯井)高松城の城主になった。 『邑久郡史』に羽柴秀吉から備中守に宛てた焼物の礼状を収録している。 秀吉は茶の湯を嗜んでいたから、領地内で作られた備前焼の茶碗を送ったのだろう。 天神山城が落城した後は宇喜多に随い関ヶ原で戦死した。 『吉備前秘録』に天神山城落城後播州へ脱出する間の出来事として、 と記述している。『吉備温故秘録』「巻之三十八」の古城山の項には、 と記述されている。 宗景が天神山城へ入城したのが享禄5年(1532)、落城が天正3年(1575)であるから在城43年である。 彌四郎は宗景の娘と結婚し、浦上彌四郎と名乗っているので養子縁組をしている。 高取備中守は豊臣方で関ヶ原で戦死したが、一族は追われる身になった。 『吉備前秘録』には「宗景の末子」としているが、周囲の目を気にして2歳になる子の父は高取備中守の弟であることを極力秘したのだろうか。 当社は長船町飯井伊良高(いらたか)八幡宮境内に鎮座している。 前掲の『吉備温故秘録』に「(彌四郎の)死後に子細有て邑久郡飯井村に若宮と祝ひある由」と記述されている若宮神社である。 彌四郎は死後若宮として祭った経緯について考えてみたい。 「若宮」について柳田国男監修『民俗学辞典』には次のように解説している。 彌四郎を若宮として祭ったのは、天神山城落城の際非業の死を遂げたためと考えられる。『天神山記』には家老明石飛騨、延原弾正らが宇喜多と内通し城に火を放ったとしている。 家老の裏切りで大混乱の中での討死はまさに非業の死で、祟りを怖れ霊を鎮めるため若宮を建立したのであろう。 建立したのは兄の高取備中守に相違ない。 本殿の床下は、写真のように亀の甲羅のように石を張り詰めた特殊な構造で、近隣には例がない。 またこの床下には頭蓋骨を埋めているという伝承がある。 現在でも肉親が死んだ場合一年間神社へ参らない。身が穢れているとして祟りを恐れるからである。 長船町東須恵浦上一族の墓地にこの若宮を勧請して祭っている。 成宗は天神山城が落城の時乳母が懐に隠して逃れた2歳の子である。 成宗の幼名は与五郎、成人して太郎三郎と名乗った。 乳母は美作国神田山(こうだやま)城主渋谷権之丞の娘千代と伝えられている。 成宗を庇護していた高取備中守は宇喜多秀家の麾下になり関ヶ原で戦死した。 秀家が城主であった岡山城へは豊臣を裏切り徳川についた小早川秀秋が入城した。 天正3年(1575)天神山城が落城の時、成宗が2歳とすれば関ヶ原(1600)のころは27歳である。 高取一族が逃亡したあと、高取と関係が深い成宗一家の暮らしは決して居心地のよいものではなかったと思われる。しかしその暮らしぶりを知るすべはない。 墓碑は日蓮宗妙光寺の墓所に建立された。藤原氏の伝承 長船町西須恵藤原氏の初代は成宗の付け人(身の回りの世話をする人)であったと伝承されている。 屋敷内に祠を建てて祭り、文久2年に再建した際の棟札を保管している。 住居は備中守の館に近いことから、宗景が備中守に二歳の子と乳母を預けた際、茂左衛門親子を付け人として当地に留まらせたと思われる。 住所は畑山大聖寺の寺域に接している。 茂左衛門の知行七百石とは可成りの武将である。 宗景は飯井村高松城主高取備中守に二歳の子と乳母を預け牛窓へ向かった。 同書の「其外従類悉く山林に逃隠れける」とは落城後宗景に従った者すべてを指しているが、牛窓港で出航を見送った従者も山林に逃げ隠れたであろう。 片山廣道氏(牛窓町鹿忍出身、地名研究者、故人)が『故郷 天狗谷は宗景一行が出航した牛窓港から西へ約四㌔ほどの地である。 「きみがはか」について『備陽国誌』には、 とあり、 と記録している。 『備陽国誌』は落城後百六十年経過した元文二年に書かれているが、そのころには塚があったことが分かる。 「きみがはか」を漢字で書けば「君が墓」である。 先年千手の長老大重春夫氏の案内できみがはかに参った。 きみがはかは「天狗谷」と「後谷」が合流する付近の小高い所に建立されている。 天狗谷の名称は岡崎家の先祖が宗景の家臣であったことから、天神山城の守護神である天之石門別神社を勧請し、祠を建立したことに由来していると考えられる。 天之石門別神社の祭神は天之手力男命で 岡崎家に伝わる天神山城の落ち武者伝説と地名の天狗谷は、『吉備前秘録』の「其外従類悉く山林に逃隠れける」という記述と対応している。 地名は土地という動かないものに命名されている確実な史料であるから、この伝説の信憑性は極めて高いものである。 天狗谷は弘法寺の寺域に接している。 宗景の孫の成宗には3人の息子がおり、宗利は嫡子で小左衛門と名乗った。 小左衛門に関する資料が僅かだが残っている。 美和神社に広高八幡宮当時のものが若干保管されているが、その中に経文を収めた箱がある。蓋の裏には、 と書かれている。 箱には大般若波羅蜜多経が十数巻が収められ、その中に小左衛門が寄進した一巻がある。 同巻の奥書は、 と書かれている。 万治4年に作られた「郡村地図」の邑久郡地図の下部に記事欄があり、各村の庄屋を紹介したものと、「富人」の住所と名前が書いてある。 寛文8年酒の醸造を制限する通達が出され、それに基づいて邑久郡内の酒屋が例年醸造する石高732石4斗を半分の366石2斗に減らしている(『邑久郡史』)。 この表の中に「弐拾石 東須恵村小左衛門」がある。 小左衛門は郡内ではかなりな規模の酒屋であったことが分かる。 小左衛門から代々住んでいる屋敷の地名は「上の段」で、一段下がった土地は「中の段」であるが、中の段が醸造場であったようだ。今もいい水が湧く井戸がある。 富人と格付けされたり、氏神へ金品を奉納できたのは、醸造業の営みによる財力であろう。 小左衛門夫妻の墓域は豊島石の延石で横幅2㍍58㌢奥行2㍍33㌢の広さに囲ってる。 小左衛門の法名は「高取院海運」だが、この法名は特殊である。 命名の経緯は分からないが、おそらく小左衛門が住職に希望を話し法名を決めたものと思われる。 宗利の母は高取備中守の娘であり祖父は備中守の弟であることから、高取家に対する深い思慕の念から自らの院号にしたと想像される。 ごんそう社は浦上氏本家の屋敷内に建てられ、天神山城の守護神である天狗を祭ると伝承されている。 前項でふれたが天神山の山麓に天石門別神社(あまのいわとわけじんじゃ)が祭られている。 と記載され、さらに同書の別項で天石門別神社の祭神は「天之手力男命(あまのたぢからおのみこと)と菅原道真を祭る」と記載されている。 山麓にある天石門別神社は天之手力男命を祭神として、もと天神山山頂に祭られていた。 祭神の菅原道真は、後の世に山麓に遷座した際に合祀されたものであろう。 天手力男命は天照大神が天岩屋戸にお隠れになったとき、怪力で岩門を押し開いた神で、後に門の守護神になり外敵や悪霊を防ぐ神として祭られたようだ。 天神山城に祭られた天石門別神社(天津社)は城門の守護神で、城郭を外敵から守る神として天手力男命を祭ったと考えられる。 本家の屋敷に天手力男命を祭っている社は天石門別神社とはいわないで、「ごんそう社」といい天狗を祭っている。 天手力男命は外敵や悪霊の侵入を防ぐ門の神になったのは、寺門の仁王が仏法の守護神として祀られたのと同じ発想であろう。 「ごんそう」とは厳めしい形相をした神の意で、漢字を当てれば「厳相」がふさわしい。 前項で牛窓町千手の岡崎家に伝わる天神山落ち武者の伝承で、隠遁した谷が天狗谷と命名されたのは、天神山城の守護神天狗に由来すると推定した。 ごんそう社の社殿は百年余り経過し老朽化したので、平成18年3月石造の社殿に改修した。 かつて社の後ろには榎木の老大木があり、木は大きな空洞になっていた。 かって県内の老木や大木を調査している民俗学者がこの榎木を調査したことがあり、榎木では目通りの直径が県内で16番目に大きいと話しておられた。 Copyright © 2020 powered by

岡山県瀬戸内市長船町内の地名から人々のかつての営みを研究しています。地名はその地域の人々の暮らしや営みに必要な事柄を、その土地につけた名前です。その名前を地域の人々すべてが認識してはじめて地名になります。従って「必要な事柄」と「共通の認識」があって地名は誕生します。

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