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両国国技館で行われた9月の秋場所も15日間「満員御礼」と活況が続く大相撲。館内をにぎわすのは女性客、そして外国人客だ。場内で販売されるパンフレットは昨年から日本語と英語が併記されている。日本相撲協会の芝田山広報部長(元横綱大乃国)は「英語の取組表の配布状況からすると、全体の1割くらいは外国人のお客さんでは」と見る。この5年で客層は大きく変わった。土俵の上も平成に入って一気に国際色豊かになった。昭和も元関脇高見山や元大関小錦(ともにハワイ出身)ら活躍した外国人力士はいたが、平成は桁違い。関取に昇進した外国出身力士は昭和(戦後)の5人に対して平成は61人。秋場所で42人いる幕内力士のうち外国出身は約2割の9人で、看板力士の横綱・大関は6人中3人だ。大関以上が全員外国出身という時期も幾度かあった。曙、武蔵丸のハワイ勢に始まり、朝青龍、白鵬をはじめとするモンゴル旋風。ブルガリアの琴欧洲ら欧州出身力士も賜杯を抱いた。外国人の入門制限があるなか、平成の178回の本場所(11年5月の技量審査場所を含む)で、外国出身力士の優勝は111回と6割を超す。「若貴」から稀勢の里が19年ぶりに日本出身の横綱になるまでの間、外国出身力士が常に主役だった。彼らの存在抜きに平成の大相撲は語れない。「土俵には金が埋まっている」。そう言ったのは昭和の名横綱、初代若乃花だが、ゆとり教育の日本の若者に代わってジャパニーズドリームは世界の若者をひき付けた。日本人の入門者が減り続けるなか、レスリングや柔道など格闘技の盛んなモンゴル、旧ソ連諸国から海を渡ってやってきた。アマチュア相撲の国際的普及も後押しし、親方衆もスカウトの目を海外に広げた。朝青龍は高知・明徳義塾高校に相撲留学してプロの道に進んだ。元大関魁皇の浅香山親方は、幕下時代の朝青龍のギラついた姿が脳裏に焼き付いている。「関取のときに稽古したら負けん気が強かった。負けても『もう一丁お願いします』と何度も立ち向かってくる。あれだけ稽古すれば強くなると思った」多くの外国出身力士は異国の地で日本語や食生活に苦闘し、時に泣きながら貪欲に稽古に励んだ。巡業で土俵を独占する姿もよく見られた。浅香山親方は「外国人力士は普通の日本人力士の3、4倍くらい稽古していたのではないか。国のため、家族のためという思いがすごく強く、すごく尊敬できた」と話す。巨漢の小錦が「黒船」と呼ばれたのも昔の話。今では、日本人力士に劣らぬ大声援が外国人力士にも送られる。猛稽古とハングリー精神で出世階段を駆け上がる外国人力士たち。一方で、スピード出世は付け人としての下積みや角界のしきたり、秩序を学ぶ時間を素通りしてしまう一面もあった。その結果が相次いだ外国人力士のトラブルだ。朝青龍は巡業休場中のサッカー騒動や暴行問題で引退に追い込まれた。大麻所持での逮捕や無免許運転で角界を追われた力士もいる。昨年も元横綱日馬富士の暴行問題で大騒ぎとなった。派手なガッツポーズや勝負がついた後のダメ押し、横綱の張り差しなど、昭和の土俵にはなかった振る舞いも「相撲とは」という自問を提起したといえる。こうした異文化との格闘が、親方衆ら関係者を鍛えた面もあるだろう。時代の変化を受容しながらも、守るべきものは守るということを。そして、今や外国出身力士が日本国籍を取得して師匠となることも珍しくなくなった。この5年でも元横綱武蔵丸の武蔵川親方、元関脇旭天鵬の友綱親方ら3人いる。その一人、昨年4月に部屋を興した元大関琴欧洲の鳴戸親方は「礼儀や基礎の稽古とか、いいものを残しながら変えている」と新しい風を吹かせている。相撲部屋では力士は一律に同じ稽古をするのが定番だが、鳴戸部屋は力士の能力に応じて個別に稽古することが珍しくない。四股や腕立て伏せなどのノルマもバラバラだ。食事は番付が高い順に食べることが角界の常識だが、鳴戸親方は新弟子時代にちゃんこが兄弟子に食べ尽くされ、白飯しか残っていなかった苦い過去がある。だから、鳴戸部屋では師匠と弟子が一緒に食事を取る。不公平感をなくすだけでなく、栄養バランスや食べる順番など細かく弟子に指導する。秋場所時点で部屋の力士は三段目を筆頭に8人と小所帯。鳴戸親方は「(ブルガリア出身だから日本に)地元もないし、新弟子を集めるのは本当に大変」とこぼしながらも、表情は生き生きとしている。「でも、やりがいがあるし夢がある。弟子が場所で勝ったときが一番うれしいね」。国際化が進もうが、円い土俵に夢を見る姿は、いつの時代も変わりはない。(金子英介)無料・有料プランを選択会員の方はこちら記事保存有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。Evernote保存ご利用には会員登録が必要です
相撲からsumoへ 国技支えた外国人 平成の30年 異文化と格闘 伝統の意義探る (1/2ページ) 2018/10/6 6:30 日本相撲協会とは全くの別組織だが、1992年には本部を東京に置く国際相撲連盟が発足した。相撲をスポーツとして世界に広め、将来的にはオリンピック種目としての採用も目指している組織だ。同協会では世界相撲選手権、世界ジュニア相撲選手権他、女子の世界大会も主催している。 大相撲の普及を目的として日本相撲協会では海外巡業にも力を入れて来た。海外巡業は1962年のハワイ巡業から不定期で行っている。1981年までは元々、日系人が多いハワイやアメリカ西海岸が巡業先だったが、その後はヨーロッパやアジアなどでも行われるようになった。 企業での記事共有や会議資料への転載・複製、注文印刷などをご希望の方は、リンク先をご覧ください。 1軍の枠は28人なので、最高1/7の割合ということになります。 お気に入り 詳細を見る 正月に行われる箱根駅伝では1人だけ外国人が走ることができます。 「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」Photo by 大相撲界には今や海外出身の力士が増えており、本場所では海外からの観光客の姿も目立つ。アマチュアの国際大会も国内外で数多く開催されるようになっており、相撲人気は世界に広がっている。大相撲と海外についてまとめた。 (西) (東)
最近では大相撲本場所の観客席に外国人の姿が数多く見受けられる。それだけ相撲は国際的になってきたという証明だ。本場所の開催時期に合わせて海外からの「相撲観戦ツアー」が組まれると、あっという間に売り切れるそうだ。 大相撲7月場所5日目(23日・両国国技館)横綱、大関陣が順当に白星を挙げた。横綱白鵬は阿武咲を上手出し投げで寄せ付けず、新大関朝乃山は霧馬山を寄り切って、ともに5連勝で序盤戦を終えた。 日本の国技である相撲は、海外でも日本を代表するものの一つとして有名です。日本国内では人気の低迷が危ぶまれていますが、実は海外での相撲人気は年々高まっているのだとか。 今、両国国技館での相撲観戦は、訪日外国人客に大人気の観光アクティビティなのです。 大相撲は力士も観客も外国人が増え、国際色豊かになった。また、世界の各地で相撲の国際大会が開かれ、大相撲への関心が年々高まっている。海外での相撲人気や相撲協会が行っている海外巡業や外国人向けサービスなどについて解説した。おすすめの記事AI予想と豊富なデータで競馬をもっとおもしろくスポーツ選手の講演・イベント出演・研修依頼ISMS認証登録番号:ISO/IEC 27001認証取得 No.ISA IS 0311Copyright© サイト内の記事・写真・アーカイブ・ドキュメントなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。一般社団法人日本野球機構承認
大相撲に外国出身の力士が増えたこともあり、相撲人気もグローバルになり、海外における相撲人口や相撲ファンも確実に広がっている。世界にはモンゴル相撲や韓国相撲など日本の相撲とは多少ルールが異なるものの似ている格闘技が存在している。 2019年3月場所の番付で見ると、幕内には42人中9人が外国人(もしくは外国出身力士)です。十両では28人中6人です。 力士全体からすると、外国人力士の割合は5%~7%程度です。 外国人力士が強くて上位に行くので多いように感じられるだけです。 最近では大相撲本場所の観客席に外国人の姿が数多く見受けられる。それだけ相撲は国際的になってきたという証明だ。本場所の開催時期に合わせて海外からの「相撲観戦ツアー」が組まれると、あっという間に売り切れるそうだ。 相撲� 企業での記事共有や会議資料への転載・複製、注文印刷などをご希望の方は、リンク先をご覧ください。
現在の大相撲界には外国出身の力士が増えており、出身国もモンゴルを筆頭にジョージア、中国、ロシア、エジプト、ブラジルなど正に世界各地域に広まっている。戦後初めて入門した外国人力士は、1964年初土俵を踏んだ米国籍の高見山関。その後ハワイ州から入門した曙関や武蔵丸関は横綱にまで上りつめた。 相撲協会では増加する外国人客向けサービスを充実化 .
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