なら志乃さまコメントを有難うございます。 若貴時代の藤島部屋はかなりの勢力でしたよね。 この記事へのトラックバック一覧です: 強力な突き押しと、どんな相手にも怯まずに立ち向かっていく取り口で新三役へと昇進した貴景勝が所属する貴乃花部屋は言わずと知れた「平成の大横綱」貴乃花親方の部屋です。今回は貴乃花部屋の歴史と注目ポイント、そして所属力士などをご紹介していきます。この記事の目次貴乃花部屋は、平成15年(2003)1月場所を最後に現役を引退し、二子山部屋の部屋付き親方となっていたこの二子山部屋は、貴乃花の父である元大関・貴ノ花が創設した藤島部屋が元で、そこに名跡交換によって合併したのが初代若乃花が創設した二子山部屋。「藤島部屋って今もあるよ?」と思った方、そうですよね。相撲の世界では同じ名前でも違う部屋があって、こんがらがりますよね。そこで、まずは藤島部屋と二子山部屋の歴史を簡単におさらいしましょう。貴乃花親方の父である元大関・貴ノ花は、兄である10代二子山(第45代横綱・初代若乃花)が創設した二子山部屋に所属していました。兄弟は22歳も年が離れており、初めは弟の入門を猛反対していた若乃花でしたが母親からの説得によって「兄弟の縁を切る」ことを条件に入門を許可、その後はこの二子山部屋出身の力士は他にも、さて、貴ノ花は昭和56年(1981)1月場所を最後に30歳で現役を引退、年寄・10代鳴戸を経て昭和57年に12代藤島を襲名この藤島部屋も、母体であった二子山部屋に勝るとも劣らず多くの関取を輩出することになります。そして何と言っても親方の息子である若花田(のちの3代若乃花)と貴花田(のちの2代貴乃花)の人気は凄まじく、兄弟が揃って入幕した頃から一大相撲ブームが巻き起こりました。そんな藤島部屋と二子山部屋はやがて合併の時を迎えます。平成5年(1993)3月に兄の10代二子山が停年を迎えるにあたり、前月の2月に藤島の名跡と交換、11代二子山を襲名しました。これに伴いなんにしても、この合併により新二子山部屋はさらに多くの関取を擁することになります。どれほどかを合併直後の3月場所の番付で見ると、幕内力士が旧藤島部屋で6人、旧二子山部屋が4人で合計なんと10人!部屋全体でも力士50人という大所帯の相撲部屋になりました。平成6年(1994)11月場所後には「平成の大横綱」と呼ばれるほどの功績をあげた貴乃花でしたが、平成15年(2003)1月場所を最後に現役を引退、一代年寄・貴乃花として二子山部屋の部屋付き親方となっていました。そして、伯父である若乃花が興した旧二子山部屋と、父である貴ノ花が興した旧藤島部屋が合体して現在の貴乃花部屋へと至る…大横綱の名を掲げた貴乃花部屋ですが、しばらくは低迷期が続くことになります。平成16年5月場所の途中に貴ノ浪が引退してか部屋から関取がいなくなり、所属力士も徐々に減少。さらに平成17年(2005)5月から平成20年(2008)3月までの約3年間は入門者ゼロという事態に。この間には進退窮まった安芸乃島は高田川部屋への移籍を希望しますが、その際のいろんな問題を抱えてなかなか軌道に乗れなかった貴乃花部屋ですが、平成20年頃からはようやく入門者も増えてくるようになります。部屋を継承以来、日本人で中学卒の力士にこだわっていた貴乃花ですが、平成20年(2008)11月には貴ノ岩は入門以降、徐々に番付をあげていき平成24年(2012)5月場所後の番付編成会議で十両昇進を決めます。貴ノ浪が引退してから実に8年ぶり、ちょっと時期が前後しますが平成22年(2010)1月に行われたというのも従来の理事選は定員以上の候補を出さない、いわゆる「無投票」によって行うことが暗黙の了解となっており、それぞれの一門があらかじめ候補者を選定して枠を埋めていくような「談合」が横行していたからです。つまり問題というのは、一門は貴乃花に立候補を断念するよう求めましたが、貴乃花はこれを拒否、一門離脱を表明しました。この貴乃花の行動を支持したのがこの波乱を巻き起こした理事選の結果は貴乃花が見事当選、その後も再選を繰り返し今日に至っています。二所ノ関一門から離脱(事実上破門)した貴乃花部屋と3部屋は無所属ながらも「貴乃花グループ」と呼ばれる派閥を形成します。その後、平成24年(2012)には立浪部屋が合流、翌25年には間垣部屋の閉鎖、そして野球賭博問題による16代大嶽(貴闘力)への解雇処分など紆余曲折がありましたが、平成26年(2014)5月に協会から各一門へと支給される助成金が貴乃花グループにも支払われるようになったことを受けまた、部屋付き親方だった15代常磐山は平成28年(2016)4月に20代千賀ノ浦を襲名し千賀ノ浦部屋を継承したことで現在、同一門には5つの部屋が所属しています。平成27年(2015)6月20日にショッキングなニュースが飛び込んできます。貴乃花現役時には兄弟子であり、部屋を継いでからは貴乃花親方の右腕として指導にあたっていた平成8年と平成9年には優勝決定戦に進出し、しかし、そんな悲しい出来事を振り払うかのように若手の成長は着々と進んでいました。平成28年3月場所では東幕下9枚目だったまた、この間に貴乃花部屋は旧藤島部屋創設以来35年近く使用してきた中野区本町の施設から江東区東砂へと部屋を移転、平成28年7月27日に土俵開きを行いました。移転先となる江東区には一門である大嶽部屋をはじめ、貴乃花親方とここからは貴乃花部屋の注目ポイントをご紹介していきます。いま、相撲界では有力な若手が伸びてきていますが貴景勝もその一人。平成26年(2014)9月の初土俵から所要13場所で初入幕を果たした佐藤は四股名をまた、名前といえば、佐藤の本名は佐藤貴信で「貴」の字が入っています。これは貴乃花ファンだった父親がつけた名前でした。子供の頃から空手を習っていた佐藤ですが、小学校3年生の時に空手の全国大会の決勝で判定敗けを受けたことに納得がいかず、「判定」がある競技はやりたくないとの思いから相撲に転向します。中学は相撲の強豪校「報徳学園中学校」に進学し、三年生のときに全国中学生相撲選手権大会にて優勝、中学生横綱のタイトルを獲得しました。高校はこれまた相撲の名門校「埼玉栄高校」に入学、数々のタイトルを獲得します。高校三年生の頃には角界入りへの気持ちが抑えきれずに、そのまま番付を下げることなく1年後の平成28年3月場所では全勝で幕下優勝、十両昇進後の11月場所では12勝で十両優勝を決めると、平成29年(2017)1月場所の番付には東の前頭12枚目で貴景勝の四股名が載りました。平成29年11月場所で西の前頭筆頭だった貴景勝は11勝4敗と好調、準優勝に値する成績を残しました。また金星もふたつ獲得しましたが、そのうちのひとつはこの活躍によって平成30年初場所の番付発表では、貴乃花部屋に改称してからは初となる新三役へと昇進しました。土俵を降りると大の親友同士ですが、それが故に土俵上ではお互いに意識しあっているようで気合の入った取組を見ることができます。土俵上ではどんな相手でも物怖じせずにふてぶてしい態度で、塩をまくのも投げ捨てるような(最近は少しマシになった?)姿が印象的な貴景勝ですが、いざインタビューでの話を聞いていると本当に礼儀正しくて謙虚で、また自分の考えをしっかりと持っている貴景勝。土俵上での取り口をあらためて見てみると、ちいさな身体ながら強力な突き押しでどんどん攻めていくのですが、しっかりと相手を見ているため効果的に突きが決まっている。また、押すだけではなく機を見ていなす相撲勘の良さも特徴です。相撲界には兄弟力士は珍しくなく、兄弟揃って関取経験者という例がいくつもあります。有名なところで言えばもちろん貴乃花親方の若貴兄弟ですが、ほかにもでは、兄が貴公俊(剛)で弟が貴源治(賢)の上山兄弟ですが、中学の頃はバスケットボールの選手として茨城県選抜メンバーに選ばれて全国3位になるほどの腕前でした。当然、バスケの強豪高校からは多くのスカウトが来たようですが、父親の強い勧めもあり、前相撲ではともに2勝2敗の二番出世でしたが相撲未経験ということを考えれば上出来。その後は天性の運動能力の高さからそれぞれが番付を上げていき、入門から2年後の平成27年(2015)3月場所で共に幕下へと昇格しました。その後、幕下で揉まれながらも定着していった貴公俊に対して貴源治は幕下陥落を二度経験し、なかなか幕下で勝ち越せないでいました。1年ほどはそんな状態が続きましたが、三度目の幕下昇進となった平成28年の初場所で優勝決定戦を経験、そこから徐々に波に乗ってきた一方の貴公俊は幕下に定着したものの中位で足踏み状態が続いていました。しかし、じわりじわりと番付をあげて平成30年(2018)1月場所は東の幕下6枚目で迎えます。この場所は4勝3敗とひとつの勝ち越しで、本来であればまだ十両に昇進できるような勝ち星でも番付でもありませんでしたが、ここで幸運が。怪我や様々な理由で幕下陥落力士が7人ほど見込まれる状況が貴公俊の十両昇進を後押しして、平成30年(2018)1月31日の番付編成会議によって貴源治の十両昇進の際には「涙が出そうなくらい悔しかった。うれしさ6割、悔しさ4割」と複雑な心境を語っていた貴公俊ですが、兄弟揃って関取というのは珍しくないのですが、双子が揃って関取というのは、記録が残る限りではところで、ネットの一部では「貴景勝(たかけいしょう)・双子説」が流れているようですが、貴乃花部屋の双子は貴源治と貴公俊、そして平成26年に相次いで引退してしまいましたが貴斗志(たかとし)と貴月芳(たかげっぽう)の二組の双子です。同部屋に二組の双子力士という珍しさのあまり、勢い余って貴景勝まで双子か!?となったのでしょうか?(笑)理由は不明ですが、デマ解消のために念のため書いておきます。ここからは貴乃花部屋に所属する人員をご紹介いたします。また、最新場所の機能的な番付表もご用意しています。様々な情報を並び替えて確認することができますよ。 ⇒ 一代年寄・貴乃花(第65代横綱・貴乃花):東京都生年月日:昭和47年8月12日(47歳)貴乃花部屋所属力士の最新成績とより詳しい情報を知りたい方はこちらをどうぞ。 ⇒ 嵐望(らんぼー)(元幕下13枚目 ):東京都二等床山・床勝(とこかつ):東京都※当サイトは個人が運営するサイトであり、日本相撲協会及び、各相撲部屋とは関連がないことをご了承ください。内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。※当サイトは個人が運営するサイトです。© 2017 - 2020 大相撲のはてなに効く!観戦ガイド All rights reserved.▲TOP 投稿: 化粧まわし姿で相撲甚句を披露する写真は、元・藤島部屋力士 一番弟子「新花山」の千葉公康さまであります。11月2日放送の大相撲甚句で現役時代のお話しを語って頂きましたが、ブログで写真を何枚かご紹介しますので今回、次回の放送をお聴き頂きながらご覧下さい。新弟子時代から面倒を見て頂いていたと言う「隆三杉」関。激しい息づかいや張り手の音が聞こえてきそうな新花山さんと貴花田関との稽古の様子。放送でも藤島部屋の稽古は群を抜いて凄まじく、力士一人一人が競い合って取り組んでいたと新花山さんがおっしゃってましたね。今は懐かしい力士運動会の一コマ。海外巡業先で「若花田」関と「貴花田」関と。地方場所で土俵作りをする新花山さん。山稽古の様子。女性ファンの皆さんとクリスマスパーティー!おモテのご様子…。部屋でハワイに旅行した際の集合写真!皆さん楽しそうです。後の貴乃花関、貴ノ浪関、貴闘力関の姿も見えますね。来週の大相撲甚句は新花山さんの後編をお届けします! 北乃脇 | Tweet. 北乃脇 |
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